- 2011-03-22 (火) 19:00
- その他
- 投稿者:kn-tonxton
こんばんは。とん助でございます。おひさ♪
東日本大震災、被災地では、今も懸命な救助が
されていると思います。
釧路・根室でも津波による影響で、被災しております。
新聞などで承知とはおもいますが
フィッシャーマンズワーフMOOが浸水し復旧のため閉館していたり、
厚岸では、牡蠣やあさりが壊滅状態というのもお聞きしました。
1日も早い復興をお祈りいたします。
さて、
とん助が記憶しているなかで釧路での地震は
1993年の釧路沖地震M7.5により液状化現象が起き
マンホールがあちらこちらで突出したのを記憶しています。
その地震の時、とん助父が「津波来るぞ!」と叫び、
恐怖に慄いたことを今、思い出しました(笑)
とん助父の時代は「十勝沖地震」や「チリ地震」を経験しており、
「川の水底が見えた!」「したら、津波きて大変だった!」と
伝え聞きました。
とん助もそれ以来、
大地震=津波という形が摺り込まれているため
社内にいた今回の地震時、
会社にはテレビもねぇ、ラジオもねぇので ココ ツッコミドコロ ナンダケド・・・
ヤフーの地震速報で東北震度7というテロップを見た瞬間
「つなみ来るぞ!」と一般の人と若干イントネーションが違いながらも
叫んでしまいました。
ネットからは大津波警報の表示が記されましたが
釧路地域は津波注意報。
しかし、心配なので携帯のワンセグを付けると
「いったい・・・これは・・・!?」と
何の映像か判別するのに時間がかかりました。
真っ黒い波が街を埋め尽くす映像。
これは・・・
津波だ!!
すると、津波注意報だった表示が
大津波警報に変化!!
ヤバイ。
ここは、海岸からおよそ600m。
すると、震度5くらいの余震!!
とん助、マジ、ビビりました。
サイレンが鳴り響きます。
「大津波警報が発令されました。至急高台に避難してください。」
絶体絶命。全員避難です。
ここの避難場所は釧路小学校なので
何台かに分けて車で全員会社から釧路小学校へ。
しかし、これは今日は戻られないのではと判断したため
全員一度会社へ戻り、それぞれの車で避難。
とん助は、安全を確保したうえで
もう1つの避難場所である米町公園へ避難。
なので、3/12の写真は米町公園からなのです。
数時間で大津波警報が解除されるものと思っていましたが
まったく解除ならず、自宅待機となってしまいました。
帰路
幣舞橋、クスリ橋も封鎖×。
かろうじて旭橋が封鎖されていませんでしたので
そこから、旭バイパスを通って・・・・・・・っと!!
「旭バイパス浸水のため封鎖×」
まぁ、他の道があったので、なんとか帰宅いたしました。
なかなか寝付けず、翌朝
釧路川に大量の流木が3/12のもう一つの写真です。
その際、ムービーも撮っておいたのでUP
緩やかに流れているように見えますが津波の押し波です。
今日の釧路川です。
未だに流木が滞留しています。
しかも大潮のため、河川上で大きく動いています。
これが2次災害を引き起こさないことを祈ります。
自然の力は私たちが想像するより遥かに強く
自然界に生かされている私たちは、なすすべのないことが
よくわかりました。
しかし、私たちは生きて生きて生き抜かねばなりません。
1歩ずつ、前を向いて、明るく、楽しく、活き活きと。
元気に活き活きと生きること。
それが、今しなくてはならないこと
なのではないでしょうか。
元気に生きていれば イノキカ。
募金も出来る。被災地に物資を送ることもできる。
将来、被災地へ足を運んで災害ボランティアとして活動も出来る。
将来、復興してきたとき、おそらく閑古鳥が鳴いているであろう
東北の観光地に行くことも出来る。
どんな形でも、支援につなげられると
とん助は思っています。
みなさんはどんなこと、思いますか?
では、とん助でした。
- 次の記事: ラーメンを食べます!
- 前の記事: あれから、1週間。
まだコメントはありません。