- 2014-03-10 (月) 12:42
- ワンダーFULL TOKACHI | 地域 | 未分類 | 釧路・根室
- 投稿者:ケラアン
こんにちはケラアンです(=´ω`)ノ
「ワンダー FULL 十勝」をご覧頂きありがとうございます。
今回は、十勝のおとなり釧路からです。
「えーっ?十勝と違うじゃん!」というところですが、釧路と十勝の石炭の鉱床は同じなのだそうですよ。(; ̄_ ̄)ヘンナリクツ
まぁ「とんとん」エリア同士ですから、いつまでも外せませんし…
道東・釧路観光とドライブの参考にしてみてください。
きっといつもの旅と違った雰囲気が楽しめると思いますw
もちろん「とんとん」も旅の相棒だょぅ(=´ω`)ノ
今回は釧路郊外の湿原を背景にした素敵な水門が見える景色の紹介です。
岩保木水門:釧路市
釧路湿原
約3万ヘクタールにもおよぶ釧路湿原。
夏にはサバンナの大草原のような景色が広がる。冬にはタンチョウヅルやハクチョウの飛来もある湿地帯で昭和55年にラムサール条約(国際的に重要な湿地を国際協力を通じて保全することを目的とし、水鳥の生息地としてだけではなく、湿地そのものが持つ機能・資源・価値を将来にわたり維持していこうとする条約)の日本国内第1号の登録湿地として登録されました。
この日本最大である湿原が、過去60年で3割も縮小しているという。
1987年の国立公園指定で保護管理が強化されたが、湿地の乾燥化が加速している。
国立公園の外側(釧路川上流)での宅地造成や農地開発、森林伐採、釧路川の上流地域の灌漑工事などにより流出した土砂が河川を伝って湿原内に流れ込んでいることが原因とみられている。近年では、釧路湿原のこれ以上の縮小をくい止めるために真っ直ぐに改修した釧路川流域を河川をできうる限り元の蛇行した自然な状態に戻すなどの対策も取られています。
湿原は単なる湿地帯ではなくスポンジのように水を貯める平面のダムにも例えられています。
ヨシ・スゲ湿原、ミズゴケ湿原、湖沼、河川など自然環境に富むところから多彩な動植物を育む場所にもなっている。
そして、この大湿原に生息する植物は地球温暖化の原因となる二酸化炭素を吸収・固定し、植物が枯れたあとも泥炭として蓄積しています。
岩保木水門
一見「サバンナ」と見まごうような景色ですが、本物のサバンナ以上に自然が豊かなのです。
その異国の大草原のような景色の雄大さに呑みこまれていると景色に比べると大きくないにしても、そこそこの高さのある古い水門が目に入ります。
それが「岩保木(いわぼっき)水門」。
すぐ近くにツインタワーのモダン形の建造物が見えますが、そちらが岩保木水門の二世になります。
旧水門は上部が木造の洋館風。湿原を前にして背部には小ぶりな沼をしつらえていますが、肝心の正面は、土砂で埋められており、水門なのに川と通じていない。見上げると『昭和六年八月竣工 岩保木水門』と大きな名前が見えた。
岩保木水門は、北海道釧路町にあり、人工河川である「新釧路川」と旧流路の「釧路川」の分岐点にあり、釧路川を仕切っている水門です。
その場所へ赴くと現在、1931(昭和6)年製の旧水門と1990(平成2)年完成の新水門(旧水門の老朽化にともない、1985(昭和60)年に着工)の二つがあり、JR釧網本線の車窓からもその姿を見ることができる。
名前の由来になる地名の「岩保木」は、アイヌ語の「イワ・ポキ」(山の下)からの音写です。
屈斜路湖を源流とする釧路川はいろいろな河川と合流して釧路市街を流れ釧路港から太平洋に注いでいる。
明治初期から開拓民が開墾した釧路市街は、遠く湿原を流れる釧路川の恵みを受けて発展していきました。その反面、大雨が降ると市街はたちまち洪水に見舞われていました。港湾も流出してきた土砂に悩まされることも少なくなかった。
特に1920(大正9)年8月時の被害が大きく、釧路市街は一週間以上もの間、水没することもあったそうです。
その災害をきっかけに、翌年から阿寒川の付け替え、そして市街地を避ける新釧路川の開削をはじめとする大規模な河川改修が行われ、およそ10年がかりの大工事の末1931年に新たに本流として設けた新釧路川と旧釧路川との分岐点に岩保木水門が設けられました。
初代の水門は上部構造物が木造。全幅20m・高さ5mの扉体は2門。その趣のある姿から歴史的建造物としても親しまれ、北海道新聞社発行・北海道近代建築研究会編・ 角 幸博氏監修の建築探訪シリーズ「道東の建築探訪」にも掲載されている。現在、水門としての役目は終えて新水門にその座を譲っているものの、釧路湿原のパノラマを背景に新門と共に佇む景色は壮観です(^_^)ノ
【岩保木水門】
釧路市釧路町岩保木釧路川河川敷
岩保木水門は治水のために開削された新釧路川と釧路川の分岐点に位置する水門で釧路川に流れる水量調節が役割であった。
その水門を開閉する動力機を覆っていたのがこの上屋であり、水門の橋脚に合わせて取り付けた3つのベイウインドが簡素な板張りの外観を印象的なものとしている。
建設当初は釧路川を下る木材流送にと水門が開かれたが陸路がこれに取って代わると1941(昭和16)年以降は「開かずの水門」となった。
役割を終えたその水門は釧路川治水史のモニュメントとして水辺で賑わう太公望を静かに見守っている。
(道東の建築探訪/北海道新聞社発行より)
この水門は当初、釧路川の水流を放水路に流しておき、かつ上流で開墾した材木等を船で運搬する際に水門を空けて通行させるることが目的でした。しかし、同時期に釧網線(現在の釧網本線)が開業して木材輸送は鉄道が使われたために岩保木水門は完成から一度も開けられることはなかったそうです。このため、分岐点の付近の本家・釧路川の川底は干上がってしまい、流れも止まっている。
一度も開いた事がないという水門ですが、水路としての機能は残っており、若干の水が流れ出ていたため水門の構造体の老朽化が避けられず、すぐ近くに新水門を建設しました。その完成により、水門としての一切の役目を終えたこの初代岩保木水門の前は土砂で埋められて道路(埋めただけのようで、とても簡易的)が作られ水門に水は通らないようになっています。(水門の足元から背面は仕切られて大きな沼のようになっている)
残された旧水門は完成から80年を超えて、そのものが歴史的建造物であり、水門付近から遠く雄阿寒岳と雌阿寒岳も見渡せます。湿原の遠望ならでは眺めを楽しむことができます。
夕焼けに染まる湿原も見どころで、夕日の名所として観光スポットになっているほか、釧路川を下るカヌーの発着ポイントとして利用されている。
水門に関わる釧路川と新釧路川のお話
水門建造時に新しく開削された放水路を「新釧路川」として、水門を通る河川に従来どおり「釧路川」と名称が付けられていたのですが、昭和42年に河川法に基づき1級河川に指定を受けた際、本流が水門で閉塞されることがおかしいとのことで、釧路川の本流を受け流した「新釧路川」を「釧路川」とし、元祖釧路川は「旧釧路川」とされてしまったことがありました(`・ω・´)
しかし、釧路市民は慣れ親しんだ釧路川が「旧」の烙印を押されることに不満を感じて長年にわたり名称復帰を訴え、その熱意が通じて平成14年に国土交通大臣より告示があり、河川はそれぞれ「新釧路川」「釧路川」という名称に戻されました(=´ω`)ノ
その経緯の名残で、ひと昔前発行の地図では釧路市街を流れている川(釧路川)が旧釧路川と表記されているのだそうだ。
昔は、大雨で市街地に被害をもたらしたこともあった釧路川なのですが、水門の存在に翻弄されて格を下げられてしまいました。
しかし、その名誉を復興させたのは釧路川流域に住む人々だったわけです。
所在地:釧路郡釧路町字鳥通原野
利用期間:冬以外
公共の交通機関:JR釧網線・遠矢駅(釧路町2丁目)から徒歩で約1時間(遠い!)、または車で15分程。
※途中釧網線を横切る踏切がありますが、そちらへ曲がると岩保木山を登ってしまうので間違いです。真っ直ぐ進んでください( ´∀`)
岩保木水門は近くまで行くことができますが、上屋は立入禁止の措置がされています。
このあたりでは車上荒らしの被害が起こることもあるので車のドアロックはお忘れなく。
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