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ワンダー FULL TOKACHI file.4  戦争と平和と十勝

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file.4 戦争と平和と十勝

お盆に入りました。
帰省や観光、そして夏のイベントと、街もイベントやお祭りで賑わう晩夏のひととき。
甲子園の行方も気になりますが、お墓参りもお忘れなく…

ところで8月15日は、終戦記念日。第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日ですが、この「終戦の日」については諸説あり、

8月14日「ポツダム宣言を受諾を通告した日」

8月15日「天皇陛下の音玉放送により日本の降伏が国民に公表された日」

9月20日「日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日」

1952年(昭和27)4月28日「サンフランシスコ平和条約の発効により、国際法上、ソ連を除く連合国各国と日本の戦争状態が終結した日」

いずれも該当しそうなのですが、日本では、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国的に戦没者追悼式を主催し、一般でも同日は終戦記念日や終戦の日とされ、平和集会が開かれている。
戦後60年を過ぎ、戦後生まれの世代が増え、戦争の記憶と平和の尊さを語ることのできる方々も全国的に少なくなっています。

戦争の記憶を語るのは、なにも人だけではなく風景として残されている(残っている)記憶そのものがあります。時代に移ろいゆく景色の中で、静かに…それでいて雄弁な「もの」たち。
「戦跡」あるいは「負の遺産」と呼ばれるそれらの遺構から平和の意味をいまひとつ考えてみるのも良いと思います。
十勝にも残る遺構・慰霊碑からそれを感じてみましょう。
※各タイトルに所在地への地図リンクを入れてあります。

 

旭浜トーチカ群 大樹町

旭浜トーチカ

 海岸線に散在する巨大なコンクリート製の遺構。
「トーチカ」とは、海岸線護衛のため据えられた特火点。
内部に銃座と銃眼を持ち、海から上陸してくる敵国の侵攻を阻止するために築かれました。
しかし、戦争末期の物資不足で鉄筋は入れられず、骨材も大きな玉石の投げ込みという強度不信の状態で、設営に動員された人々もあまりのずさんな工事に敗戦を予感していたという…
本来は大部分を地中に埋めてカモフラージュするものですが、海岸線の侵食でその姿を夏空の下に晒している。

 

旭浜防霧林内要塞トーチカ 大樹町

旭浜防霧林要塞トーチカ

旭浜トーチカ群よりも少し内陸部。防霧林の伐採により発見された巨大なトーチカ。
内部は広く(現在は塞がれています)銃眼をふたつ持ち、機銃を2台据えられる多角形構造。
海岸のトーチカもそうですが、実際に使われることは無く、終戦を迎えました。

 

浜大樹トーチカ群 大樹町

大樹浜トーチカ

秋味釣りでにぎわう浜。
崖に引っ掛かるように土中から半分露わになったもの、崖から滑落してさかさになったものが点在している。
時代の骸というよりも海へ還ろうとする生物に見えます。
霧に霞む浜。釣竿を並べる人たちは海から来るものにひたすら夢中。

 

立岩要塞トーチカ 広尾町

広尾立岩要塞トーチカ

漁港の防波壁に挟まれた大岩。
天然岩の内部をくり抜いて水際戦用に配備されたもの。
内部は広く、数階建て構造だったという。
戦後、子どもの格好の遊び場になっていたと聞きましたが、現在はコンクリートで塞がれています。

 

旧陸軍飛行場併設 戦闘機機体用掩体壕 帯広市

帯広の森戦闘機用掩体壕

「掩体壕(えんたいごう)」とは、航空機あるいは軍事物資等を敵の攻撃から守るための格納庫です。
現在の陸上自衛隊十勝飛行場(旧帯広第一飛行場)周辺に46基造られ、うち1基が戦後に土地所有者の住宅や倉庫として使われていたものが残っています。
上から見ると凸形で、高さ2メートル、長さ31.5メートルのコンクリート製。
「帯広の森」の一角にあり幹線道からも確認できます。(遊歩道から行く事もできます)

 

帯広空襲の碑 帯広市

帯広空襲碑

十勝大橋の花火大会会場から近い総合体育館の前庭。
終戦間近の1945(昭和20)7月15日、米軍は、大通南1丁目から西1条南1丁目あたりに、5発の爆弾を投下。
これにより1歳から17歳の若い5名の尊い命がなくなりました。
帯広空襲は、当時の被災家屋や写真などの記録は残っていないそうで、この碑が忘れ得ぬ記憶をはらみながら、磨かれた赤面に現代の景色をも写しています。

 

栄公園 掩体壕跡の山 帯広市

栄公園掩体壕

一見、何の変哲もない公園の山ですが、その下には「壕」があった(埋められている?)。
今はなくなった旧十勝会館の前庭にあたるところにあり、軍事物資などを格納するためのものだったようです。
サラリーマンのお昼の憩いの場や近郊の保育園の遠足コースにも使われますが、そういう現実を知ると他の公園の山も気になってしまいます…。
あなたの町の公園の山には云われはありませんか?

 

新田の森 機銃痕の残る壁 幕別町

新田の森機銃掃射痕

パークゴルフクラブの製造で有名な「㈱ニッタックス」。
高級合版製造で歴史のある工場で、戦時中は軍需用合版の製造も担っていました。
そのため、攻撃対象になりました。
敷地の外壁に機銃の弾痕が数か所、かすかに残されています。

 

幕別図書館東側の爆弾投下跡 幕別町

幕別図書館庭爆撃跡
1945年7月14日、アメリカ海軍空母ハンコックから出撃した爆撃機8機が音更町と幕別町を空襲後、幕別町へも飛来。
軍需合版工場を標的に6機が15発の爆弾を投下。
工場は爆弾の直撃をまぬがれましたが、貯木場へ落ち、丸太材を飛散させました。
現在の図書館がある場所は、当時の貯木場で建物裏に透過爆弾で空けられた直径約6メートル、深さ3メートルほどの穴があり、今見てもその凄まじい破壊力に身震いします。

 

音更九一部隊 給水塔跡の碑 音更町

音更町 北部九一部隊給水塔跡碑

ひと頃までは、この碑から西方に塔のようなものがありました。
それが1943年に旧91部隊が建設した。高さ18・6メートルの給水塔。
上の部分に、米軍が打ち込んだロケット弾2発の痕跡が生々しく残っていた。
この塔のあった国有地は民間への払い下げられ、給水塔は戦争遺産として残すべきとの働きかけもありましたが、構造的上危険であるため、やむなく解体。
代償として作られたのがこの碑なのだそうです。
もしかするとその給水塔の破片で作られたのが、この碑なのかと思いましたが確認とれていません。

 

留魂碑 音更町

音更留魂碑

 昭和17年10月10日午後1時頃、北部軍飛行第三戦隊所属の陸軍大尉 金子博道、同少尉 栗田洪の2人が搭乗の九七式司令部偵察機が機体のトラブルにより墜落。搭乗の2人が殉死されました。
その地の地主である上村吉造氏は、両氏の殉職を悼み墓標の周辺にトドマツを植えて供養に務めました。
しかし、氏の没後、墓標が朽ち、松も枯れるに及び、慰霊の意志を受け継いだ氏の息女の発意により昭和39年12月新たに建立されました。
畑の真ん中に出島のように張り出している留魂碑。
現在も大切に供養されています。

 

義経の里の掩体壕 本別町

浦幌町義経の里掩体壕

 1945年7月15日 第2次世界大戦中、十勝に最も大きな被害をもたらした「本別空襲」
午前8時20分頃から50分間近くにわたり、米軍機43機による銃爆撃を受けた。
死者40人、被災者1,915人。家屋279戸が全焼し、113戸が大破。
町史によると帯広爆撃のため飛び立った米軍機は悪天候のため攻撃を断念。その時、運悪く雲間が切れて本別が爆撃されたという。
近年の米軍資料からの研究によると、当時 本別にあった麻工場が軍服や軍用テント、ロープの原材料を製造していた。
そのため、米国公立文書館が期間限定で公開した「AIR TARGET−JAPANESE WAR(対日戦争−空爆標的リスト)」には、本別、帯広、池田、芽室を含む亜麻工場13か所も含まれていた。
本別の亜麻工場は標的番号「1579」で、「Pombetsu Linen Plant(ポンベツ リネン プラント)」として緯度や経度も記されてたという。
いずれにしても、この町に悲劇が振りまかれました。

義経伝説の残る「義経の里御所」 幹線道(道道658号線)の反対側の山裾に設けられた大きな滑り台の近くに木立に埋もれるようにしていくつかの壕が残っている。
これは民間の防空壕ではなく軍事物資を格納した掩体壕(えんたいごう)だそうだ。
本別空襲からは離れた位置にありますが、内部に積もる白っぽい岩石の欠片になんとも恐ろしい気分がしました。(崩落の危険があるため、内部に立ち入ることはできません。画像はネットの間からズームで撮影したものです。)

 

 

これらの他にも民間の防空壕及び軍事施設の跡も多数あるのですが、現在民間の所有になるものも多く、安易に近づくことができません。
豊頃町トイトッキ浜にも要塞タイプの大きなトーチカが保存されていますが、今のところ撮影しておりません。

平和は尊いものです。決して疎かにするものではありません。
誰しも戦争など願うものではありませんが、空気や水のように当たり前のようにここにある「平和」。
その本質を「戦争を知らない子どもたち」である私たちが、今ひとつ考えるために、この「物言わぬ語り主」たちに出会ってみるのも良いことだと思います。

今回紹介しました大樹町旭浜・大樹浜のトーチカ群周辺は海岸線の侵食で切り立った崖になっている所や今にも下へ落下しそうなほど露わになって引っかかっているトーチカもあるので見学の際は十分ご注意ください。
また、釣人が多いこともあり、車上荒らしが出る噂も聞くことがありますので貴重品は車内に放置しませんように。


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