- 2014-04-08 (火) 20:17
- ワンダーFULL TOKACHI | 洋食
- 投稿者:ケラアン
幕別歴史の散歩道 「黒田温泉」跡 (幕別町)
バカヤロウト エハガキヲドナル サムサカナ
ヒトシズクモ ノコサズノミユク サムサカナ
大正15年10月22日、寂れた温泉宿で、今宵は少しばかり過ぎた酒の勢いにまかせて絵葉書に戯れの歌を書き連ねる男。
彼の名は、若山牧水(ぼくすい)。明治から大正・昭和にかけて名を馳せた自然派の歌人。
この日投宿したのが現在の幕別町札内、あかしや団地付近の途別川に架かる「吐月橋」からほど近い「黒田旅館」。
大正元年に『途別鉱泉』の名で開業。
創業者の名をあてて「黒田旅館」、あるいは「黒田温泉」の名が一般に浸透していました。
途別川沿いにあり、依田地区のある高台との間に挟まれた一帯は、開拓期にはすでに20~21℃の冷泉が湧き出ており、湿地帯を形成していたことから耕作に向かないとのことで開墾に取り残され、開拓前史の面影を留めていた。
明治29年、加藤多作氏が冷泉を風呂水に使ったところ、入浴した人から「病に効あり」と評判になりました。
これを東京へ分析に出してみたところ十勝川温泉と同じくアルカリ質のモール泉で慢性胃腸病、皮膚病、婦人病、他万病に験有りとの結果から、吐月橋を越えたところの日新坂の近くに「加藤温泉」を開業。周囲の山野に自生した木を燃料にして沸かしていたそうです。
時代は大正に入り元年、高台の上で牧場を経営していた黒田林平氏が加藤温泉近くに前出の「途別鉱泉」を開業。当時、周囲に温泉宿も少なく、花見の季節は幕別本町の新田ベニヤ工場や帯広市の魚菜市場の一団の利用で大いに賑わったといいます。
そんな宿でしたが若山牧水は、大いに不満を感じていました。おかげでいつもは1日1升半のお酒も、その夜は少々度を超えてしまったようです。もちろん初めて訪れた北海道の寒さが牧水の身に耐えがたいものだったかもしれません…
ハテナァ コンナニノンダカトオモフ サムサカナ
牧水の十勝行脚
大正15年、若山牧水は初めて北海道、そして当時の十勝国を訪れました。
夫人を伴ったこの旅は、自然を愛で、歌を詠むという悠長なものではなく、止むにやまれぬ地方行脚であったようです。
牧水は本名を「繁」といい、明治18(1885)年、宮崎県の医師の家に生まれました。
早くから文才に優れ中学時代から作歌活動を始め、新聞・雑誌に寄稿。短歌の他に随筆、童話、紀行文など数多く手掛け、また新聞・雑誌歌壇の選者としても広く活躍。
明治37(1904)年、早稲田大学予科へ入学。同期には北原射水(白秋)・土岐湖友(善暮)らがいます。
ほどなく尾上柴舟門下となり、前田夕暮・正富汪洋らと車前草社を結び、主に雑誌『新声』に作品を発表。
明治41年早大卒業の年に第一歌集『海の声』を自費出版。一時新聞記者をしていましたが43年の第3歌集『別離』で一躍歌壇として脚光を浴び、「牧水、夕暮時代」が訪れます。同年、雑誌『創作』を創刊主宰。その後、恋愛問題や貧窮のため、しばしば漂泊の旅に出ていました。45年太田喜志子と結婚。
大正9(1920)年、静岡県沼津に移住。旅と酒を愛する歌人として親しまれ「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」などの歌が広く愛されました。歌集は『路上』『みなかみ』『くろ土』『山桜の歌』『黒松』など生涯に15冊発行されました。(第15歌集「黒松」は生前より編集に取り掛かっていましたが、晩年の多忙を極めた生涯により想いは遂げられませんでした。牧水の死後、全集に含まれて発行されましたが、のちに単行書として発行)
43年の短い生涯は嗜んだお酒が過ぎたこともありましたが、全国を巡る旅を続け北海道を訪れた翌年には朝鮮まで渡る長期に渡る旅の疲労が蓄積されていたことも死を早める原因だったかもしれません。
旅の目的は大正15年、牧水の念願であった詩歌総合雑誌「詩歌時代」が発行されて詩歌壇にセンセーションを起します。
多くの読者も集めましたが、発行所が沼津市にあり、当時の地方都市で伸び悩み、資金的にも行き詰まりがあったことからやむなく廃刊。前年に新居を建てたことも負担になっていました。
この莫大な欠損を補うため前々より試験的に試して好評を得ていた「半折短冊領布会」(いわゆる揮毫会、サイン即売会的なもの?)を各地で催すことにしたものです。
牧水、黒田旅館に茫然
この頃、黒田温泉は、すでに栄華の時代を過ぎ、ひなびた温泉宿となってしまっていたようです。
建物としての構造は、現在の北海道の住宅を含む一般建築のように箱型に作られた基礎ではなく、基礎の根太(ねた)を組む位置に従い一定間隔おきに地杭を打ち、その上に建物を築いた作りであったので冬季の「しばれ」により土台がバラバラに動き(凍上)建物自体の歪みが進んでいました。
牧水が訪れた頃は、旅の始まりから天侯に恵まれず、1ヶ月近く曇雨天が続いていたようです。北海道に渡ってからは雪に見舞れた日もあったらしい。
現在では、山沿いならいざ知らず、10月に雪が降ると大騒ぎの十勝なのですが、この時代は寒い北海道であったらしい。
寒さと疲労で同伴の夫人は体調を崩し、帯広で4、5日休養することとなりました。ところが運の悪い(?)ことにこの頃、帯広で日本陸軍第七師団の大演習後の歓兵式が行われ、ほとんどの宿、それどころか宿代わりに斡旋された民家まで軍人でびっしりの有り様だったらしい。
黒田温泉の他にも池田町の清見館や帯広の北海館(現在の北海道ホテル)での滞在もありましたが、それも軍隊の殺到する前後のことです。そこで創作社社友に紹介されてしぶしぶ泊まったのが「黒田旅館」。
当時の黒田旅館の印象を牧水は歌誌「創作」で記しています。
今度の創作社だよりもまた、妙なところから書く。十勝国札内駅在、途別温泉黒田旅館というのの奥座敷からである。
奥座敷などというと景気よく聞こえるが、まことは実に恐ろしい温泉宿で、壁落ち、柱傾き、便所はあるが洗面所はない…というところである。
奥座敷32畳の部屋の隅に(8畳ずつ4室に仕切られているが、間のふすまがいう事をきかないからまず32畳1間と見なすべきでせう)憤然として座った二人の姿を想像して下さい。
15年あまりで黒田旅館は筆舌しがたき程に痛みが激しくなっていたようです。このころ十勝川温泉や糠平温泉に人気が移っていたことも影響していますが黒田は細々と営業していた。そこへ嫌々ながらやって来たのが牧水ということです。
とりあえず今夜は我慢して明日すぐに発とう… 当然そう思ったでしょう。 ところが牧水は、その黒田に5日間滞在しました。
牧水の心を打ったもの
朝の散歩へ出た牧水は表の風景に感嘆する。
前には十勝平野を距て、遠く石狩国境の十勝岳、石狩岳、三国山等の連山がぴったりと雪をかぶって低く豊かに並んでいる。
裏はまた素敵である。庭続きに殆ど原始林とも見られるべき深い林となり、いずれもひと抱え、ふた抱えの楢の木、せんの木、いたや楓、(中略)その他名も知らぬ木が今を限りと紅葉しているのです…
歌誌「創作」に連載した“北海道行脚日記”に気が変わった様子が書かれたそうです。
今朝早々この宿を逃げ出さうかと思っていたわたしの考えは、この林を見るとともに消えてしまった。
そして朝食の席で懇々として細君に転宿の不可を説いた。
雑誌等の紀行文や雑感での執筆にあたって宿の印象を語る牧水でしたが、手紙の中では「ココノ宿、帰ッテ話ス。オ伽話以上ダネ」という発言もありました。宿そのものはともかく、牧水はこの景色の中にある宿が大いに気に入ってしまったようです。
揮毫会の席でも社友たちに十勝再訪を約束した牧水ですが、この旅の後も昭和2年に朝鮮へ渡る行脚の旅で体調を崩し、予定を中断。
その後も体調はすぐれず、昭和3年9月17日 急性胃腸炎及び肝硬変により死去。享年43歳。
牧水の死後、牧水の歌碑建立の話は出ていましたが実現には至りませんでした。
その直接のきっかけとなったのが、「黒田温泉」の閉鎖。
これにより「蒼穹社十勝支社」が結成され、牧水の死後10年を翌年に控えた昭和12年5月に吐月橋を越えた先、日新坂脇の広場に歌碑が建立されました。
刻まれた歌は、代表的な「幾山河 こえさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅行く」。
十勝滞在中、池田や帯広で詠まれた歌は最後の歌集「黒松」に収録されていますが、黒田やそこから見た景色を詠んだものは残念ながら残されていない。
行脚の中にあって詠んだ歌の数はめっきり減っており、超多忙を極めた日々の中では牧水の心に余裕がなかったのかもしれません。
それでも、2か月に及ぶ旅の中、「黒田温泉」で過ごした数日間は、唯一時間に追われない数日間であったそうです。十勝野の景色を眺め、依田の高台から景色を見ながら心の中で詠んでいたのかもしれませんね。
牧水の歌碑は国内に約300基(2010年調で)確認されており、歌人の中で最も多く、旅を愛した牧水の足跡と人気がうかがえます。
歌碑そのものも一時期人々から忘れられかけていましたが昭和48年5月、依田の高台の上(現在の幕別温泉グランヴィリオホテル脇の公園)へ修復し移設。
黒田温泉跡は、幕別町教育委員会から「幕別歴史の散歩道」に登録され指標が立てられました。
現在も湧き出し続ける鉱泉の他には、何もない湿地帯に戻ってしまったかのような一帯ですが、コンクリート製の浴槽の様な構造物が雑木に寄りかかるように放置されています。
十勝毎日新聞社の当時を知る古老に資取材したところでは「黒田の浴槽に間違いない」とのことです。そうであれば、牧水ゆかりの浴槽として保存を望むところですね。
幕別町百年史
大悟法利雄編 『和歌山牧水全歌集』 短歌新聞社
伊藤一彦編 『和歌山牧水歌集』 岩波文庫
笹川幸震著 『短歌でよいしょの東北海道風土記』 郷土史自分史出版研究所
帯広しんきん郷土文庫シリーズ 『とかち彩事季 5』 帯広信用金庫 発行
帯広市立図書館収蔵の新聞特集記事のスクラップ集「十勝の文学」(掲載紙不明)
取材撮影後、黒田温泉跡からほど近い「とんとんスポット」でランチ♪
ピノキオクッチーナ
もうディナータイムに近い時間になってしまいましたが、たくさん歩いたのでお腹が空きました。
静かなジャズの流れる店内
お手頃ワンプレートランチながら、玉ねぎの存在感たっぷりのハンバーグと
しっかりアルデンテのパスタに満足です。
→「とんとん」での[ピノキオクッチーナ]のスポット掲載はこちら←
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