- 2015-01-28 (水) 18:26
- とんとん日記 | ワンダーFULL TOKACHI | 未分類
- 投稿者:ケラアン
帯廣神社(帯広市)
日本は「数多万の国」と称されることがあります。
どこの町や村へ行っても神社や祠が必ずある。その地域を守る「鎮守の神様」。
新しい年の始まり「初詣」から、厄払い・合格祈願など1年を通して神社を訪れる機会はたくさんあります。
信心の度合いは別として「祈り」は私たちにとって日常の一部と呼んでも差し支えないでしょう。(信仰はひとそれぞれですが…)
られ、「日本むかしばなし」においても神社の境内で遊ぶ子ども(氏子)たちの姿が描かれるシーンがたくさん見られるように「神様」は身近なのです。
特別なお願いごとがなくとも朝の散歩・ウオーキングの道すがら参拝していく人は多く、早朝から和やかな雰囲気。
それでありながら鳥居の外とは空気感が違い、街中でありながら大自然を感じることができることは心身の癒しの場にちがいありません。
十勝・帯広市内には、他にも鎮守の神が祀られる神社が多くありますが、その代表が「帯廣神社」。 祀られている神様は三柱(神様は「柱」で数えます)
大國魂神(おおくにたまのかみ) 北海道の国土の神
大那牟遲神(おおなむちのかみ) 国土経営・開拓の神
少彦名神(すくなひこなのかみ) 国土経営・医薬・酒造の神
御祭神の三柱の神は「開拓の三神」と称せられ、国土の安全(経営)・開拓(開発)の神として広く信仰されています。
【御神徳】 帯廣神社の鎮座地は帯広市中心街の鬼門(北東)の方向に当たることから方位除け、災難除け、厄除け等、諸災難除けの守護神として御霊験あらたかです。また、境内地が帯広の流通の要である国道38号線に面することから、交通安全の信仰も篤いのです。
(帯廣神社公式ホームページより抜粋)
帯廣神社の由緒
明治時代、官による開拓が進められる中、帯広は静岡県から依田勉三率いる民間会社である晩成社が開拓を始めた。 明治43年以前、旧柏小学校辺りに祠があり、帯広神社と呼称、祭典も営まれ余興に祭典ばんばが行われていた。 明治42年、神社移転造成の話が持ち上がり、町民大会を開催し、現在地を境内地として仮殿造営参道整備に着手。 明治43年に例祭日を9月24日と定め、神社創立願を道庁長官に提出、社掌荒井重矩と藤本長蔵が札幌神社(現北海道神宮)に赴き御分霊を授かり鎮斎した。4つの各祭典区では、山車を作り駅前でこれを出迎えた。 明治44年に無格社、大正7年に郷社、昭和4年に県社として昇格。昭和11年、朝香宮鳩彦王殿下御参拝、天皇陛下帯広市行事の際に勅使御差遣があり幣帛料を賜る。 昭和35年、御鎮座五十周年記念祭を斎行し、頓宮を造営。昭和51年神社本庁別表神社に加列、その記念と御鎮座七十周年記念事業として、昭和54年に現在の社殿、翌55年には現在の社務所を造営した。 平成22年には御鎮座百周年の臨時大祭を斎行、献幣使に神社本庁総長が参向された。記念事業として参集所及び祖霊殿の新築、他境内整備事業が行われた。
(帯廣神社御鎮座百周年記念誌 平成22年8月 帯廣神社御鎮座百周年記念実行委員会発行 より)
帯廣神社 略年表
1855年(明治18)頃から祭祀を行う。
1860年(明治23)に晩成社が祠を建てて「帯廣神社」と称した。(これが帯廣神社の起源ともされるが、これと現在の「帯廣神社」の繋がりがはよく解っていないそうです。)
1909年(明治42)神社の移転・御造営の話が持ち上がる。
1910年(明治43)神社創立願を北海道庁へ提出。同年9月24日に札幌神社(現在の北海道神宮)から分霊の勧請を受ける。
1911年(明治44)無格社に列する。
1915年(大正4)に本殿・拝殿を造営 1918年(大正7)郷社に昇格。
1930年(昭和5)県社に昇格。
1960年(昭和35)御鎮座50周年記念祭が斎行され、頓宮などを造営。
1936年(昭和11)天皇陛下帯広市行幸の際に勅使御差遣があり幣帛料を賜る。
1976年(昭和51)神社本庁別表神社(道内に六社)に加列
1979年(昭和54)別表神社加列記念・御鎮座70周年記念事業として、昭和54年に社殿、翌年には社務所を造営。
1985年(昭和60)御鎮座75周年記念事業として外玉垣などを改修。
1990年(平成2)御鎮座80周年記念事業として参道などの改修。
1995年(平成7)御鎮座85周年事業として祭務所を改築、また内玉垣・頓宮御社殿の一部を改修。
2000年(平成12)御鎮座90年奉告祭が斎行され包丁式の奉納。 部落神社である春日神社を境内神社とし神社移転、社殿・社務所の造営工事を行う。
2010年(平成22)「御鎮座百周年記念事業」が行われる。
無格社 旧神社制度のうえで最も低い位置にある、公の資格をもたない神社。神饌幣帛料の供進などを受けることができなかった。
郷 社 もと、神社の社格のひとつ。府県社の下、村社の上に位置する。
県 社 旧制度の神社の社格のひとつ。官・国幣社より下、郷社より上で、県から奉幣した神社。 http://www.obihirojinja.jp/
帯廣神社のこと
ばんば絵馬
御由緒にあるとおり、明治43年頃までの祭典で、余興として輓馬(ばんば)が行われ、大いに賑わっていたのだそうです。
旧柏小学校付近に祠があり、1年の収穫を終えた人々は収穫感謝の祭りを行い、それぞれの所有する農耕馬の力自慢とばかりに、今でいう「ばんえい競馬」が開催されました。
その後、神社が移転することに伴い、輓馬も現在地へ移転されました。この移転に伴い、神社と「ばんえい競馬」は切り離された形になりましたが、お正月に行われる帯広畜産大学による馬上参拝や帯廣神社の「ばんば絵馬」などに受け継がれています。
「ばんば絵馬」は、ばんえい競馬で馬が大きな障害を乗り越えて突き進む姿から、どんな困難も乗り越えるということで「合格祈願」に評判です。
この絵馬は、漫画「銀の匙 Silver spoon」にも登場し(作品内で「帯廣神社」は「大蝦夷神社」の名で登場しますが、まさに帯廣神社そのままです)登場人物が「ばんば絵馬」を奉納するシーンがあります。
帯広観光コンベンション協会で企画している「銀の匙の世界を体験!スタンプラリー」、帯廣神社でのスタンプは、蝦夷農馬術部のマロンです。
帯廣神社には、普通の形の絵馬もあり、他に面白いもので『縁結び絵馬 かつら文』という変わり絵馬があります。
万葉集で詠われ月に住むといわれる妖怪で美男の「かつら男」と竹取物語の美女「かぐや姫」。
帯廣神社の境内にはハート形をした可愛らしい葉が特徴の『桂』の木があり、この葉を模した『かつら文』絵馬。
あなたのまだ結ばれぬ「かつら男」(あるいは「かぐや姫」)へ想いを込めた恋文(願い事)をしたためて境内所定の桂の木に結びます。 (毎年4月下旬から10月末の期間)
この「かつら文」は、期間中の満月を迎える日だけは、特別な色に紅葉したものが授与されます。
写真供養祭
帯廣神社で執り行われる恒例祭典に「写真感謝祭」という、あまり聞き慣れないお祭りがあります。
思い入れがあって捨てられない写真を供養後に焼却する「写真感謝祭」で例年6月1日に執り行われます。市民から写真の処分について相談を受けたのをきっかけに、1994年に始まりました。
似たもので、お寺などで行われる「人形供養」がありますが、なるほど!写真の中にも無下に捨てることができないものがありますね。
卯の門
帯廣神社の東側、「東」は十二支で方位を表すと「卯」であるところから門に卯の飾り金具が配されています。
うさぎは日本神話の「因幡の白兎」で大国主命(おおくにぬしのみこと)を稲羽の八神上売(やがみひめ)との縁結びに導いたことから兎神とされています。
手水舎
「手水」は、心身を清める「みそぎ」を簡略化したものといわれています。
一般的な作法は
1、右手で柄杓を持ち汲んだ水を左手にかけて清める
2、左手に柄杓を持ち替えて右手を清める
3、あらためて右手に柄杓を持ち、左手に水を溜め、その水で口をすすぐ。(柄杓から直接はダメです)
4、もう一度左手に水をかけ、柄杓を元の位置へ戻す
※手水はひと汲みで最後の左手まで清められるようになると美しい作法とされます。
※手水は飲んでご利益を得られるものではありません。
この帯廣神社の手水、冬場に行くとはっきりとわかりますが、温泉の香りがします。
参拝者からも「温泉みたい」という声がきかれますが、温かいわけではありません。冬の冷え込む朝、もうもうと湯気のようなものが立ち上がる様を見ると温かそうですが、足元は凍って滑りやすいので注意です。
なぜ、手水に龍なのか?
龍神様は、雲や雨を司る水の神様で、水は生きていく上で、水は命の源。その龍神様から出るお水は、「ご神水」というわけです。この、ご神水で手や口を清めて、自身を祓い清々しい気持ちで参拝するということなのだそうです。
ところで、手水鉢の中にお賽銭を投げ込んであるところをたまに見かけますが、用途として、これは正しくないのでは?と思いますが、いかがでしょう。
大丈夫守り
福井県護国神社が発祥のお守りで、全国で4つの神社でしか領布されていないお守りです。
「大丈夫」は『ますらお(男性のこと)』とも読み、帯広開拓の祖、依田弁勉三が開拓を前に『ますらおが 心定めし北の海 風吹かば吹け 波立たば立て』と詠んだことから「目標達成」、そして何があっても大丈夫!と特に男性に人気があるそうです。
このお守り、本体・紐・文字全てが黒で統一されている。黒は神事において位が高い色だそうです。全国4つの神社の大丈夫守りの中で、黒1色で統一されているのは、ここだけ。
他にも、映画「幸福の黄色いハンカチ」で帯広がロケ地になったこと。旧広尾線「幸福駅」。そして春の境内で春の訪れを知らせる黄色の福寿草から、「幸福」を祈る黄色の「幸福守り」などがあります。
他にも多種なお守りが用意されていますが、お守り・お札は神社の神様と私たちの間のアンテナ役のようなものですから、「持って安心」ではありません。度、手に取って願い事をしましょう。
「願いがかなう お参り★開運(新道研究家 阿部慎也:著)」によると左手にお守りを乗せ、右手の人差し指・中指を付け、そこに親指を添えた3本の指をお守りに向け『ひふみ ゆらゆら』と唱えながら円を描くようにすると、お守りの力がアップするそうです。これは古神道の祝詞にも使われる言葉であるのだとか。
お守りをパワーアップさせるのも効力を最大限に引き出すのもあなた次第なのです。
神 馬
帯廣神社の鳥居を越えて左側の手水舎の手前。
大きな台座の上に勇ましく空に向かって駆け出す姿の馬の像があります。
この神馬の像を寄進したのが、中島 武市氏(1897-1978年)。
1914年に岐阜商業を卒業した後、大阪の呉服問屋へ。その後、名古屋の株屋を経て渡道。
旭川で書店に勤める。やがて帯広へ移り、1920年に「古着商中島商店」を開業。(後に「みつわ屋」と改名)
1936年に帯広商工会の副会頭になり、1939年には帯広市実業連合会長・十勝商工会連合会頭に就任。
1942年には帯広市議会議員に当選した。1943年9月には帯広商工会議所会頭(〜1950年11月)となり(1943年10月〜1946年9月までは北海道商工経済会帯広支部長)、1954年には帯広ロータリークラブ会長も務めている岐阜県本巣郡土貴野村(現在:本巣市)出身。
帯広市にとって名士に間違いありませんが、一般にはシンガーソングライターの中島みゆきさんの祖父にあたる方、という方が知られているかもしれません。
小学校時代に校長先生から「人は一代、名は末代じゃ。金は汚くためても社会公共のためにきれいに使うことが大切だ」と教えられ、そのために事業家として成功しながら様々な像を寄贈・寄進したそうです。
帯廣神社の国道38号線を挟んで向かい側にある「中島公園」の依田勉三像も昭和16年に寄贈。(2年後に金属接収で撤去されましたが、昭和25年に武市氏が改めて寄贈)
帯廣神社の神馬像は、氏が神社の神々に禁酒禁煙を誓い、その満願日に帯広神社へ寄贈したもので、その献納式の際にも向こう十年間の禁酒禁煙を誓い、寄付も資産の一つだという考え方を実践しました。この他にも氏は、市内小学校へ「二宮金次郎像」寄贈するなど有言実行の人でありました。
この神馬の台座下には人参が供えてあるのを良く見かけます。
身近なパワースポット「帯廣神社」へ行こう
●晩成社がこの地を開拓地に選んだ時の十勝は、原生林に覆われた土地でした。晩成社が入植した一帯は、白樺の樹木が多く、日差しも良く届く開けた土地であったといいます。『帯広発祥の地』付近、今の『水公園』のあたりを中心として帯廣神社の前も晩成社所有の土地が広がっていました。
帯廣神社が現在地へ移った後のこと、電信通りが繁華街であった当時、鎮守神社へ行くために回り込むことが不便であり、参道を延長してほしいとの声も高まっていました。
その頃はまだ神社前の電信通りまでの一帯は、晩成社が所有する土地であり、かないませんでしたが後に成晩成社から寄贈され、電信通りと繋がったいうことです。
●北海道の代表の神社(いわゆる『一の宮』。地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと)は、『北海道神宮』です。
北海道神宮は、パワースポットに関する書籍にもよく登場します。帯廣神社は、前記の略年表にもあるとおり、北海道神宮から分霊された由緒ある神社であり、十勝においてのパワースポットのひとつに違いありません。「十勝のパワースポット」といった企画やブログ等にも登場しています。
十勝地方において、一の宮神社にあたるのは、広尾町にある「十勝神社」なのだそうで、十勝神社でいただける御朱印には「一の宮」の文字があります。
(御朱印とは、本来、参拝者が写経をお寺に納めた際にいただく印でした。いつの頃からか参拝したあかしとして頂けるようになりました。これは 「記念スタンプ」とは違うもので、寺社の神職者や僧侶等が墨書で寺社名や参拝日などを書き押印する。 近年は御朱印巡りブームもあり、御朱印帳を持参する参拝者も多い)
●お参りのマナー、鳥居は人の住む俗界と神域を区画する結界であり、一種の門です。「鳥居」の由来には諸説ありますが、「通り居る門」の意味から発したという説があります。神様の家の門なので一礼して入りましょう。
参道の中央は神様が通る路なので参拝の人は左側通行が作法です。参道を通ると間もなく左側に手水舎です。手水の作法は前記のとおりです。
拝殿前で、お参りするわけですが、「二礼 二拍手 一拝」はご存知の通りです。
でも、「●●●できますように…」とお願いごとから先に入るのではなく、名前・生年月日・干支・現住所と、いわゆる「自己紹介」をしてから、参じた目的(願い事)に入った方が良いそうです。(声に出す、出さないに関わらず)
お賽銭に関しては、35円(三重ご縁)とか45円(始終ご縁)という風にも言われていますが、神社は鎮守の地にある者たちから「広く浅く」との考えの元にあるため、お賽銭に上限下限があるわけではありません。大切なのは、お参りする人の「心」なのです。
参考図書:
帯広神社御鎮座百周年記念誌 帯広神社御鎮座百周年記念事業実行委員会/編(2010年)
帯広の碑と像 古きをたずねて 藤沢 清/編著(1982年)
角田東耕 聞き書き集 帯廣神社/巻
願いがかなう お参り☆開運の本 阿部慎也/著 (2010年)三笠書房
※文中の画像の一部は「帯広神社御鎮座百周年記念誌 帯広神社御鎮座百周年記念事業実行委員会/編(2010年)」より出典しております
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